« 韓国風おじやを作ってみた。 | メイン | 総本山善通寺を歩きつつ。 »
2006年05月28日
名器との出会いと再会。
大抵、日曜の夜なんてのは、サザエさんが始まるころには明日を思ってブルーになりがちなんです、はい。が、しかし。今日は私にとってはSpecialな夜。ずっと欲しいと思っていたものが目の前にある至福の時。見て、嗅いで、触って、これから馴染んでいくであろう物。毎朝幸せを運んでくれる、ささやかなお宝です。
大体、コーヒーが好き!と豪語しておきながら、私は持つべきものを持っていなかった。
コーヒーミル、である。
珈琲倶楽部と出会ってから、私はそこで豆を購入するようになったが、豆を挽くためのミルがなかった為、
いつもペーパーフィルター用に挽いてもらったものを100gずつオーダーしていたのだ。
それでも美味しいのは美味しいのだが、日が経つにつれて明らかに劣ってくるのが、香りである。
コーヒー豆の状態、これはまさに『香りのカプセル』。
挽きたてのコーヒーが美味しいのは、まさにこの香りが際立っているからでもある。
だからこそ、コーヒーミルを買わなければ!と、ここずっと考えていたのだ。
一口にコーヒーミルと言っても、その形はもちろん、メーカーも千差万別、値段もピンからキリまで。
知識のない私がいくら店頭で物色したところで、何も分かるはずもなく、
やはりここは“プロ”に聞くべきだと、当てにしたのはやはり、珈琲倶楽部のマスターだった。
『コーヒーミルって色々ありますけど、どんなのがいいんですかねぇ?』
『はっきり言ってしまうと、高ければ高いほどいいです。』
…I see.
とは言いつつ、簡単な説明ももちろんしてくれた。
今現在であるならば、ヨーロッパ製のものが最も歯が良いらしい。
昔は日本にも良いミルを作っていた、いわゆる町工場のようなところがあったらしい。
しかし、不況のあおりを受けて、なくなってしまったという。
安いものでも、インスタントコーヒーなどに比べると断然香りが違うが、やはり挽き具合にムラが出る。
また、良い物は仕組みは単純であるから手入れをしてやれば、一生使えるし修理も出来るという。
年齢を重ねてきたからであろうか?
良い物を愛し、長く使いたい、というのが私の信条である。
多少値がはっても、信頼できる店で信頼できるものを買いたい。
そして今日、ようやく私は1台のコーヒーミルと運命の出会いをしたのだ。
フランスの名老舗、Peugeot(プジョー)のコーヒーミルである。
プジョーと聞いてまず思い浮かべるのは車ではないだろうか。
いや、少なくとも私はそうであった。
しかし、元来プジョーは金属加工の工場だったという。
大工道具やナイフ、かみそり刃、鍬、ばねなど、様々な道具を手がけてきたとの事。
そんな生活道具の中の一つとして1840年にコーヒーミルが誕生。
すなわち、プジョーのコーヒーミルには160年以上の歴史があるのだ。
これからの人生をともに歩んでいくであろう、私の元にやってくるコーヒーミル。
珈琲倶楽部のマスターは、その最初の試し挽きを、私にさせてくれた。
少しぎこちない、でも思ったよりもずっと軽い挽き心地。
ふっとハンドルが軽くなり、受け皿を開けると、挽きたてのコーヒーの香り。
それに混じって、真新しいミル自体の木の香り。
マスターは日々使い用の挽き具合に調節もしてくれた。
使い込めば使い込むほど、刃のすべりも滑らかになってくる。
そして、私自身の“くせ”も加え、大切に扱い続ければ、どんどん私の手に馴染んでくるという。
名器との出会いである。
いつか、このミルから木の香りが薄れ、コーヒーの油分と香りが染み付いたとき、
私は再び、今日の名器との出会いに感謝すると思う。
夜、普段はコーヒーを飲まないようにしているのだが、今日はやはり我慢できず。笑
感激ひとしおで、初のコーヒーを挽き、たててみた。
幸せです。
幸せとは自分自身の気持ちの問題、と誰かが言っていた。
これから毎朝この気持ちを味わえると思うと、私は今日、一生保障の幸せを購入した事になる。
我ながら、良い買い物をした日だ。
そして。
久しぶりに音楽をかけずに自分の部屋で至福のコーヒーを飲んでいた。
時計の秒針が進む音だけが聞こえてくる中、ややタイミングをはずし、ペースも遅めの、
同じく時計の秒針の音が、どこからともなく聞こえてきた。
他に時計なんかなかったと思うけど、、、と思いながら、音が聞こえてくる方向へ近づき、ごそごそしてみる。
そこから出てきたのが、この目覚まし時計だった。
確か私が小学校1年生、もう20年以上前のクリスマスか誕生日かに、両親からもらったプレゼントだ。
毎朝寝起きの悪い私の悪態にも耐え続け、本体に多少ヒビが入っても、秒針がはずれてしまっても、
私の朝に長い間付き合ってくれた目覚まし時計である。
それが4,5年前、ついに電池を入れ替えても針が進まなくなってしまった。
やむなく新しい目覚まし時計に買い換えた後も、長年付き合ってきたこの子を、
私は捨てることが出来ず、ただただしまい込まれていたのである。
そんな目覚まし時計に、私は今日久しぶりに呼ばれた。
乾電池を外していなかった。
秒針は既になくなっているが、中の歯車は回り続けているのだろう。
しかし、長針も短針も動かない。
そしてよく聴くと、その音は2,3秒に一度くらいのペースで進むのである。
止まってしまったと思っていたのに、この目覚まし時計はこの目覚まし時計なりの“時”を刻み続けていたのだ。
新しい名器と出会った今日、私は別の名器と再会したような気がした。
良い物は良い物を呼んでくれるのかもしれない。
投稿者 Keikon : 2006年05月28日 23:15
« 韓国風おじやを作ってみた。 | メイン | 総本山善通寺を歩きつつ。 »
コメント
コメントしてください
Copyright (c) Keikon. All rights reserved.